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2008
03.09

みる・きく

すみれ


「きょう、♪じゃじゃじゃじゃーん、きいた。」
「ああ、うんめい、ね。」
「木でできた、がっきとか、見たよ。」
「・・・・見たのね。」

小学校ではかなり前から、映像を見せながら聴かせる、ということをやっているのでしょうか?
それはそれでいいのだけど、聴かせるだけを多くしてほしいなぁ、と思うのです。

見ながら聴く。同時に味わうのは、楽しい。’You Tube’なんて、それの最たるもの。
けど、見るほうが、どうしたって優先する。
全く聴いてないとはいえないけど、私がレッスンでよく言われる
「聴いてない。」
ぐらいのことになっているのだろうと思う。

感覚って、拡大されるものではなく、一つに研ぎ澄まされる性質のもののようで、
訓練しても、視覚的な外界を完全に見ながら、完全に聴くことはない気がするのです。
アルトゥール・ルービンシュタインが、晩年、視力を失いつつあった時の言葉
「やっと、耳だけで弾けるようになったよ。」

その頃だと思われる映像があるのですが、
まるで、神さまがピアノの前にすわっているよう。
光るように豊かなクリーム色の白髪が、すでに神々しく、
始終、目を瞑り、「つむじ」すら、動かない。
空間の音に耳を浸しているような、あるいは「全身が耳」。

「神さま」は、真剣勝負をしている。
相手は、まだワカゾウの、(アンドレ)プレヴィン、その他大人の姿をした「子供」。
神さまは真剣だけど、相手がどうにも、ぽわーんとしている。

視覚はとても強い欲求をもった感覚だと思う。
でも、あろうことに写真は、視覚に拒否されているみたい。
見ていない、表面をかすめて過ぎていくだけ。
私がここに書くのはイジワルかもしれないけど、自分がそうなので。
それでも撮るのか?と、最近は、よく考えるのです。

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