ルーツ/あるいは先生

2015.11.17.Tue.10:24
セントセシリア


セントセシリア

セントセシリアは音楽の神様(守護聖人)。
ピンクのわけは、セントセシリアが女性だからでしょうか。

私のピアノの音と先生のそれは、当然だけど全く違う。
これは、過去の先生にも感じていたので、今更だけど、
「全然違う」感は、今が一番大きいと思う。

先生の明るく強い音に対し、ぐっと小さくちょっと曇ったような音。
発表会に出ても、ほとんどの生徒さんが、先生の音の系統にあるに対して、
私だけなんだか違う、子供の前で、大人のくせに小さな声で話しているよう。

このことについて、先生に聞いたことはないのは、
私の音を尊重して、そのように指導してくださるからなのだけど、
この違いが、なぜか恐怖になっているような・・・。






一か月前ぐらいに、リヒテルの演奏を聞いているとき、
音の核と響きが完璧だなと思ったのです。意外に繊細な演奏です。
音の核と響きって・・・?

しばらくして浮かんだのは、今の先生の前に、「ツィーグラー」をやっていた数年のこと。
ツィーグラー奏法とも言われるけど、奏法とは少し違う気が。。。
簡単に言うと、音に対してイメージを持つこと。イメージなくして、弾かない。
ピアノは、音が多い上に、押せば音は鳴るから、何も考えずに弾き飛ばしてしまうことも。
昔少しだけ書いた。休符すらイメージなくして、ありえない。)

子供の時から、これに触れる人はあまりいないと思う。
ショパンのエチュードをバリバリ弾くような音大生が、
今まで弾いてきたことは、わきに置いておいて、
レッスンの初め、一つの四分音符を「ドー、ドー、ドー、ドー」と何度も弾くこと、数年。
要するに、日本ではやり直しのメソッドになっていると思う。
私でも、やっていると、情けなくなってくるので、
今までバリバリやってきた人なら、その何倍も、何十倍も!だと思う。

私は「ドー、ドー、ドー、ドー」を4年はやったと思うけど、
実際の演奏に役立ったかというと、その実感はまったくなく、
無駄だったかもとすら、思っていた。

でも、恐怖の正体は、私にすっかり刻まれたらしい「ドー、ドー、ドー、ドー」。
明るく強い音にあこがれたなら、やればいいのに、
もう変えることはできないようで、自分のどこかが「ノー」と言うらしく、守ってきたようだ。

日本でツィーグラーというと、藤原由紀乃さんだけど、「魂のピアニスト」といわれる。
魂の・・・なんて、なんだかなぁと思っていたけど、自分ですら、この状況。納得してしまった。
私は趣味でちょっとピアノを弾くだけだけど、藤原さんの孫弟子になる。
珍しいことではなくて、私のような人は、案外いると思う。




ショパンコンクールで優勝した、チョ・ソンジンさんの先生は、ミッシェル・ベロフさんらしい。
それを知って、ああ、そんな感じだなぁと思う。
日本ではやっぱり優勝しちゃったというか、ああいう音が好まれないのか、
評判がイマイチですが、私は、いい音だなぁと思う。

あえて、ルービンシュタインコンクールの時の映像を置いておきますが、
4楽章がいいなぁ。
ルービンシュタインコンクールで、ブラームスを弾くのは、ステキ、いい選択。
ルービンシュタインの最初の先生がヨーゼフ・ヨアヒムで、ブラームスにつながる。
ブラームスの師はシューマン。
ルービンシュタインのブラームスもシューマンも他の人とはちょっと違う。

どこの世界にも、魂に刻まれていくようなルーツ/あるいは先生があり、
自分の立ち位置がわかったこの頃、先生バンザイ!と思ったのでした。

スポンサーサイト
コメント

管理者にだけ表示を許可する