
山寺は、想像より上へ上に伸びていました。
横方向の広がりは、あまりありません。
1000段以上ある階段はつらかったのかといえば、そうでもありません。
一段一段の高さがそれほどないので、健康な人ならば、足腰にそんなに自信がなくても、大丈夫。
(70前後の方は、明らかにつらそうでした。タイムリミットは60前後?)
やっぱり同じように山全体が寺で、石段を登りする「鋸山」のほうがつらいです。
あそこは一段の落差が大きいところが、かなりあります。
今より一回り若い時に、つらいなーと思ったので、もう行けないかも。


「山寺にて雨宿り」。
今風に「雨宿り@山寺」。
芭蕉が山寺に与えたものがすごすぎて、句は好きじゃないけど、うらやましくってしょうがない。
いや、句が好きとか嫌いとか、もう、そういう問題じゃなくて、
日本語で、五十音の次に覚えるものは、漢字じゃなくて、芭蕉の句だなと思います。

「寒河江」と書いて、「さがえ」と読むのは、地名にも苗字にもあるので、
読む方が特殊なものとしては、よく知られているほうかな?
「サガエ」という音だけならば、園芸の世界で、世界中に知られています、
それもスター級といってもいいかもしれません。
山形の寒河江で発見されたギボウシ(ホスタ)は、欧米で人気もの。
日本でもよく見かけるようになったのは、それからのことのようです。
外国でメリクロン栽培したものを、逆輸入することで安くなったと、
昔、読んだのですが、どの本だったか・・・、見つかりませんでした。
なので、もしかしたらまちがっているかもしれません。
私の家にもあるのですが、メリクロンで増えたものは、どうも安定しないようで、
株の半分は、金色の斑が消えかかっています。
本場でサガエを地植えにすると、ものすごく!大きくて、人の腰ぐらいはありそうでした。
(私の鉢のは、人の膝ぐらい。)
冬には地上部がなくなるし、春先のギボウシはタケノコのように、
すくすく猛スピードで大きくなるので、大きくなれない心配はなさそうです。

大きくなれないのは、子供ではなくて、バラ。
ピエール・ド・ロンサールは、暖地に住んでいる私には、
なにもかもが、ものすごくパワフルなバラというイメージがあります。
根元の太さが、細い大根ぐらいあるものも!
こうなると、バラは木だなと思います。
木だから、幹や枝が大事なのですが、
雪がたくさん降るところでは、雪の重さで折れてしまったり、
バラが成長できる時間が短い・・・等々で、枝が伸びにくいようです。
そういう場所では、雪囲い、あるいは掘り起こして、
地中深くに穴を掘り、寝かしておくということを読んだことがあるのですが、
それができるのは、小さいバラだけだろうなぁ・・・・。
このピエールは、家の壁面いっぱい伸ばせるようにしてあるのに、人の背丈ほどしかなくて、
悶々とした中学生のような、小ぶりの花でした。

うえの写真を撮ってから、一時間後、この花を植えた方とお話をしたのですが、
窓辺のこの赤い花すら、景色から計算して配置したのだと、今は思います。
何も考えずに、庭のどこを撮っても、ポストカードのようになります。
人に見せる庭を造る人は、こんなにもいろいろ考えるのかと、とてもびっくりしました。
私は気に入った花の、好きな色を選んで、鉢に植えるだけです。
そのありさまを人に見せるわけでもないので、
ベランダは緊張感なく、言ってみれば、だらしないありさま。
新しい集合住宅やスーパーなどの入り口で、
植物を置物としか考えていない植栽に時々、遭遇します。
成長して、大きくなることが考えられいないので、
数年経った時、生き残っているのは、ほんの少しか、ゼロです。
すばらしいガーデナーは、数年後の景色も、
たびたび訪れる人の記憶を欺くことも、ちゃんと考えていました。

私の写真歴のなかで、カメラがなかった今年の5月から6月は、「空白期間」でした。
何を、どんなふうに撮りたいのかが、明確にあるわけでもないので、
見たもの、知ったこと、思いついたことについて、イエス、ノーを繰り返していました。
変えたいな、ひろげたいなーと思っている割には、わたしはガンコでした。
それが終わって、山のあじさいの前に来たとき、
「遅かったじゃないか!」
と言われた気がしました。
やわらかい水色、ベイビーブルーですね。

海へ行けば、その写真ばっかり、もう何枚も撮って、楽しく
山に行っても、同様。
海は、波が撮るリズムを作ってくれるような気がするのですが、
山の中はなんでしょうか?
この写真を見たとき、それは光かな?と思いました。
しずかですが、刻々と何かが変わっていきます。
私の中を過ぎる時間は、街中より速いようです。