
和名のほうも、意外にしっくりきます。

「えっ?うそでしょう?!」
と、聞きなおしてしまうような環境にいるお嬢さんが、娘の友達にいる。
いろいろ聞いていくと、少しは安心できたのだけど、
娘には、何かあったら連れてらっしゃい、と言ってある。
日本語の「優しい やさしい」という言葉の中には、
「甘い」ということも若干含まれているような気がするので、こういういい方をするけど、
子供のころ、私にもっとも「親切」だったのは、
親でも祖父母でもなく、隣りに住んでいたおじさん。
今なら、女の子に親切なおじさんなんて、疑われるだけだけど・・・。
おじさんはタクシーの運転手。
今でも顔色の悪いタクシーのおじさんはたくさんいそうだけど、
子供の目にも、明らかによくなかった。
だからっていうわけでもないけど、おじさんの親切は、私には少し受け入れにくかった。
「こっちに、おいで。」と、いつもより調子で言われないと、近づかない感じ。
たぶん、わたしはおじさんのことを理解できなかったのだ。
その場所を引っ越してから、次に会った時、おじさんは仏壇の中にいた。
私は振袖を着たその日、母親に有無を言わさず連れていかれた。
これだけで、おじさんがどれだけ私にとってありがたい人だったか、わかるでしょう?
仏壇の前で、死ぬ前まで私のことを心配していたと、
おばさんに聞かされ、まだ気恥ずかしいような感じがした。
それから、さらに時間が経って、女の子を一人育てて、おじさんの年齢に近くなった今、
その心持ちが少し浮かんできた。
おじさんは、やっと安心できたかな?
写真は「蘭蘭」という名前の八重桜。
上野のパンダにちなんだ名前だそうです。
私はこのパンダを見た、と書けば年齢が分かりそうですね

虹にしては、まっすぐだし、太陽と同じ方向に出ているので、違うものだろうな・・・と思いつつ撮りました。
環水平アークというものらしいです。
虹とは違う原理でできるので、名前は当然ちがってくるのでしょう。

今年の桜は、長かったですね。
最初に撮ったのが、3月22日。最後は、4月14日、3週間ありました。
いつもだいだい10日から14日ぐらいで桜は撮り終わるのです。
写真は、中盤の4月5日の写真。

いろいろな「うみのそば」へ行ったけれども、
こんな広く何もないところは、なかなかありません。
宮古島の東平安名崎も広いところだったけれど、
南の島らしく、緑が深々と、花々が咲き、「何かある感じ」がまだあったのですが、
ここ、男鹿半島の入道崎は、ほんとうに原っぱ。
草原の先は、すとんと断崖になってます。

ここは、私の季節限定パワースポット。
でも桜の木は伐採される予定で、来年はないかもしれないと、新聞の地方欄で知った。
毎年通って、私なりに気に入った写真もたくさん。
さすが飽きたと思わなくもないけど、
新聞のせいで、駆けつけてみる。
何度も何度も来ているはずなのに、ここに山桜があったことに気づかなかった。
桜は木としては、低くこんもりしているのが通常で、空高く、のびのびと咲く桜はあまりない。
ここは小さな林のというか森の一部なので、競争相手と光をもとめて、桜は上に伸びる。
となりが常緑樹の桜は、大きなイチョウぐらい、高さはあるかも。
どういう感性ならば、ここをぶっ潰すことを思いつくのか、
想像してみたけど、とても私の頭の中は届かなかった。
仕方なので、何度も何度も振り返っては撮り、まだ撮ったことのないアングルに気づいたり、
自分の中にしまう作業をしながら、さよならを。かすかに、来年を期待しながら・・・。


旅のお話はまだ続くのですが、リクエストがきましたので、本日の撮りたてを。
