寿命

この間、娘の通っていた幼稚園に行ったら、副園長先生がいらして
「このへんの桜はね、昭和30年ぐらいに、100本苗木を寄付してくださる方がいらして、
あちこちに植えて回ったのですよ。」
と教えてくださいました。
たぶん当時は、めずらしい話でもないのでしょう、そんな気がしつつも
今、ここにいて、成長した「贈り物」を受け取る大きなよろこびを感じました。
「でもね、もう寿命なのでしょう、どれも痛みはじめて・・・。」
くもの巣病が目立っているのに、
どうして手を入れないのかなぁと、長いこと思っていました。
桜の枝に手を入れるのは簡単なことではなく、枯れてしまう危険もあるとのこと。
ソメイヨシノの寿命は短いみたいで、
日本で一番古いソメイヨシノは120歳ぐらいだと、どこかで読みました。
枝垂れ桜には、1000年を超えるものが日本にいくつかあることは、ご存知でしょう。
樹齢数百年の枝垂れ桜は、あちこちにごろごろと。
山桜はソメイヨシノよりも長生きできるみたいです。
副園長先生は、今の園長先生のお母様で、80歳をすぎておられます、現役。
ひさしぶりに娘を見て、はっきりと名前を呼んで、ニコニコしていらっしゃいました。
人の顔と名前を一致させるのが苦手な私には、驚異のことです。
そのつぎ

この一週間ぐらいすごく歩き回っているみたいで、毎日筋肉痛です。
翌朝にはよくなっているので、よい運動なのでしょう。
でも、たくさん撮っているということでもないのです。
「さくら かるた」は去年の桜の頃に、こういうものを作ろうと考えていたのですが、
今年の桜も、こういうのかなと思うところはあります。
そのためには、撮るわけでもなく、歩き回ることが必要な気がして
今日もこれから、行って来ます!
花道

紅枝垂れ桜が満開。
色が濃いので、迫力がありますね。
学校でこの春、離れてゆかれる先生を、校内から校庭へ「花道」を作って送りだすのだそうです。
娘がこの一年お世話になった先生も転任されるので、花束も贈ります、
時間のあるお母さまは是非どうぞ、ということを連絡網でまわさなくてはなりません。
この一年私はクラスの委員をしてましたので、クラスの連絡網はトップです。
何人かの人に電話をするのですが、
最近の学校ではあたりまえになってきているのでしょうね、
娘のクラスに何人か、日本人ではないお母さんがいます。
日本語を聞くのも、話すのもだめだ、という方もいます。
中国の方に「花道」とか言って、わかるのかなぁ・・・と電話をする前に考えてしまいました。
何度か、かなり長い時間、お話をしたことあるのですが、
まったく違和感のないきれいな日本語を話されるので、大丈夫か、と思ったのですが、
やっぱり「転任」とか「花道」等々、最初はわからなかったみたい。
見て読む文章だったら、通じたのかな?とおもいました。
つくし

写真を趣味としてない方に、聞いてみたいのですが、
撮っている人って、はっきり言って邪魔じゃないですか?
写真を撮っている人に遠慮するようになっているのは、どうでしょう?
あんたは邪魔だ!と言いながら撮る人いるんです。春と秋に何度か遭遇します。
突如、周囲がざわっとして、とてもいやな感じ。
「ちょっと移動していただけますか?」
ではないのです、自分は動かず、その場所から大声で「どけ!」。
そういった当人こそ邪魔で、
足も頭も使わない人の写真なんかね、とケイベツするのですが
それも、三脚を使っている年配のおじいさんと、決まっているのはなぜでしょう?
言われた方はびっくり、慌てますよね。
遊びに来ているのに、いやな気分もしばらくはするでしょう。
そんなことを考えていたので、
私は、カメラを首からさげた浮かない顔をしていた人だったかもしれません。
通りに面した庭仕事をしていた年配のおじいさんが、
「その土手に、つくしが生えてるよ。」
と声をかけてくださいました。
何度も通っているその場所が、まさか!でした。
「昨日、子供がたーくさんとってしまったから、もしかしたら、もうないかもしれないけど。」
注意深く探すと、まだたくさんありました。つくしは逆光から探すと見つけやすいです。
「あったー?」
とも、時間を置いて重ねて聞いてくださり、
これは神さまのお詫びかなと、ちょっと機嫌が直ったのでした。
クレマチス

去年の春、クレマチスっていいなぁという記事を書いたのですが( こちら )、それと同じ場所のもの、お屋敷といってもいいようなお宅の、高い塀を覆うクレマチス。
去年も桜の咲く雨の日に撮ったのですが、娘が一緒でした。
人の家の前で植物を撮る時、子供が一緒だとそれほど怪しまれずにすむのですが、
一人の時はめったにやりません。
それでもこのクレマチスに会いたくて、寄り道しました。
今の時期に咲くクレマチスは、旧枝咲きなのでしょうね。
私が写真のクレマチスに大いに感化されて、この間買ったのは、
初心者向けの新枝咲きで、初夏に咲きます。
新枝と旧枝の両方に咲くというタイプもあって、クレマチスは奥が深いです。
くすのきはゆれる

これはマンションの六階の室内から、外を見たもの。
くすのきは、特に風もないのに、枝をゆさ〜ゆさ。
それは別の木、例えば柳を見ているような感じです。
地上から見上げていると、どっしり、びくともしないように見えるので、ちょっと意外。
しなやかにゆれている様子は、まるで笑っているよう。
この高さでくすのきを見ることは、そうあることではなく、
わたし、という人が
こんなすてきな場所に住む人と
知り合いになれることも、また奇跡だなぁと。
ここに住む人は忙しいので、お邪魔しては・・・と思うのですが、
そのもてなしも、窓の外のくすのきも、とても居心地がよく、
ずうずうしくも、また来たいなぁと思うのでした。
紅枝垂れ桜

枝垂れ桜の中でも、色の濃いものをこう呼ぶようです。
子供の頃、京都駅で迷子になったことも、
以後も京都駅に降りたことは何度かあるのですが、
見物はしたことはないのです、日本人なのにさ・・・。
行くとなったら、一週間、一ヶ月いうスケールでいきたいなぁ。
で、話をもとに戻して、
この紅枝垂れ桜は京都にわりに多いのかな、と思うのです。
京都の写真集を見ていたら、この桜が多いのです。実際はどうなのだろう。
昨日は冷たい雨の日。撮りながら寒いなぁと思いつつ、
帰って暖かい飲み物であったまろうと、それだけでほっとできるのは、春の雨の日だなぁと。
冬の雨は、ずーんと沈んでしまいがちですものね。
キケン

家族に起こされて、朝からひとりで撮りに行きました。
これって、どーゆことよ?とおもうのですが、これから夏まで撮っていかないと、
ネタはあるのに、写真がないという事態になって、HPに置くような作品はできず、
それに後悔とともに一年待つというのは、あまりよいものでもないしね。
去年のように、
「さぁ、がんがん撮るわよ!」
という気分ではなく、最近の写真はイマイチだよなと思う反面、
なぜかキケンな感じがして、その正体を知りたく、わくわくするような感じもあります。
ここで言う「キケン」はもちろん、差し迫った身の危険のことではなくて、
何が起るかわからないけど、なにかありそうな、なさそうな。
ただじっと待っていればよいという性質のものでもないので、動きます。
これから「三代目」とともに夏まで過ごして、何も見つけられなかったら、がっかりかも。
今日わかったことは、「脚立」がほしいということ。
桜のためにレンズを一本買おうかとも考えていたのですが、
それはこの「キケン」な感じと、趣旨があわない(???)気がしたので、
見送りました。
手もだるーくなって、脚立を持ってくれる助手も欲しいところですが
花粉症にもならず、外をすきなだけうろうろと、今年も桜が見れることが、バンザイです。
そろそろ、ですが・・・

そろそろ桜を撮り始めようと思っているのですが、なかなか咲きません。
一昨日、ソメイヨシノより数日咲きはじめる枝垂れ桜を見に行ったのですが、まだまだでした。
去年より遅いなぁ、気象庁の予報は正確だ・・・なんて思っていたら、
早く咲くと訂正しているし。
写真は去年の3月20日のもの。そういえば今年、桜草もまだこんなに咲いていません。
今思うと、あのカメラにはあらゆる欠点があるのに、
なんだか、妬ける一枚です。
桜が咲かないとか咲いたとかじゃなくて、
一番問題なのは、わたしのやる気なのですが、
この半月ぐらい撮ったものをみるのが、どうにもウンザリで
去年の写真というのは、そういうわけでした。
水仙
今日もタイトルなし

毎日、家の椿が一つずつ咲いて、よい気分。
バラの芽吹きも、いつもの年以上で、期待十分。
(これから、強い風の日が多くあると、だめなのだけど。)
こういう気分のもと、暖かく、よいお天気の日、ホームセンターに行ったらどうなるか、
わかる人には、わかる、椿とクレマチスのお持ち帰り。
クレマチスはバラと一緒にしようと思っていたのです。
(・・・って、ホームセンターに行ったのは、確信犯かい?)
そのバラを誘引しなおすと、
管理者の知らないうちにしっかり育って、枝がたくさん出ていました、えらいぞ、ドルシュキさん。
これじゃぁ、「同居」は無理だなと思って、他のバラにしようと考えたのですが、
どうも相手が見つからず、買ったクレマチスの性質を調べてから、
また考えようと、部屋に入りました。
クレマチスの性質はいろいろだから、育てるときにはよく相手を見ないと!ぐらいの知識で、
とりあえず、「強健種」とかかれたものを選びました。
椿はあきらかにつきすぎの蕾をすべて取りました。
もうしばらくすると、今度はバラの新苗が届きます。
写真の梅は、なんだかバラが開いていくみたいな咲き方をするなぁと思って、撮りました。
稚貝のパスタ

稚貝というのは、「貝つきベビーホタテ」になるのでしょうか。
東北にお住まいの、ある方の日記で知って、
今の時期、こちらでもわりと安く手に入るので、使ってみました、貝の旬は春ですものね。
スープや、それを吸わせていただく麺類などには、とてもよい食材だと思いました。
パスタは、自家製です。私が打ったのではありません、家の「麺職人」が作りました。
今日の麺は、デュラムセモリナ粉と中力粉、3:2ぐらいで作っているそうです。
花粉症

こちらに来てから、ひどい花粉症になったという岩手美人さんが
「スギも悪いとは思うけど、空気の悪さもすごくある気がするの。
空気の中に、ホコリとかチリとか、そんなのが、たくさんない?
春に実家に帰っても、大丈夫なんだよね。」
あっちにはスギが多そうだしね・・・しばらくして、父のことを思い出しました。
二十年、三十年前、花粉症のことはそれほど知られていなかったと思うのですが、
その頃から春先の、父の顔も目も真っ赤でした。
「ほくろの多い人は、花粉症になりにくい。」
という説の、例外になる父は、この岩手美人さんの説があてはまりそう。
沖縄からこちらへ来てから、アレルギー体質に。
大きな病気にもかかったみたいで、
そのころの暇つぶし、日本刺繍の十二単の美人が
立派な額に入れられて、家に飾ってありました。
子供が見ても、とても手の込んだものだったので、いつ誰が、どうして作ったのか、
知りたくなった時、母が教えてくれました。
子供の頃、私はわりとアレルギーな体質でしたが、今は大丈夫。
毎年、秋から冬にかけて、岩手美人さんから何度か「りんご」いただくのです。
「ごめんね、このりんごはダンボールなの。」
りんごには木箱!なのだそうです。
彼女のお母様は軽くしようと、ダンボールで送ってこられることもあるようで、
そういう時には、りんごとともに、「ごめんね」を。
彼女は今、オランダに。花粉症はどうなのだろう。
花粉症のみなさま、お大事に。
写真は「しなまんさく」。
白梅

掃除をしていたおばさんが、つくづくしみじみと
「梅は本当に、いい、まず虫がつかないからねぇ。桜はねぇ・・・。」
ここは梅も桜もたくさんあって、おばさんは日常の管理をなさっているようで、
毎年、桜につく虫と戦っているみたいでした。
ソメイヨシノは特に虫がつきやすいのでしょう、ふと、そんな気がしました。
そろそろここで、掃除ぐらいの奉仕をしてもいいくらいに、撮ってますが
見ているだけの私は、話もノンキに聞いてしまいます。
わたしのつばき

そこまで好きなら、家にだってある、椿。
「絵日傘」という白地に赤の模様が入る、本来はど派手な品種なのですが、
まだ木が若いからか、私がいけないのか、こういう感じの花ばかり。
風の強いマンションのベランダで、椿はあまり向いてないな、と思ったもの事実だけど、
ほんの30センチぐらいの小さな株に(買ったときから、それほど大きくなってない)
しっかりとした花をつけている姿は、けなげ。消耗しないよう切花に。
私が撮ると、なんだか洋花みたい。
家にある花器のほとんどが、バラを基準にしているからだなぁ・・・。
椿
ぬれたサンドイッチ

娘の教科書にガマくんとカエルくんの話がのっていました。
「手紙」というタイトル(アーノルド・ローベル作)。
宿題で、音読しているとき、「はなことば2(仮)」(「花の光 草の光」にしました。)が、ふっとできました。
この話と私の作品の内容に、ちっともつながりはないのですが、
作品の端になるような、よいお話で、
子供の読む本の中には、もうちょっと言葉が整理されないかなぁと、おもうものもあるのですが、
日本語訳も無理はありません。
子供の絵本に「ゆううつ」なんて、まず出てこないのですが、
そういう気持ちの中の、ちょっと取り扱いにくいようなことがよく出てきます。
このシリーズで、「ひとり」になりたいカエルくんからはじまって、
最後にふたりが「ぬれたサンドイッチ」を食べるお話があるのです。
子供は
「ぬれたサンドイッチ、たべるのぉ!」
と、なるのですが、
親友となら、ぬれたサンドイッチもいいかもね、とってもいいかもね、と大人は思うのでした。
やぶつばき

最近、どうにもいろいろなものが、おいしくて、食べてばかりで、困る。
冬眠から目覚めたクマって、こんなかんじなのかなぁと。
このまま家にいる時間が多かったら、ほんとうにクマになるから、外にでよっと。
で、イチゴ77%のチョコ。
チョコレートはそれほど好きじゃないので、めったに食べないのだけど、
それにこのチョコが、特に「おいしいー!」とも思うものでもないのだけど、
どうしてだろう?ついつい、ひとかけ。
酸っぱくて、つぶつぶして、最後にあまい。この流れがいい感じだと思う。
明治の板チョコのシリーズなのだけど、ちょっとお高い。
抹茶もあったけど、こっちは苦いのかな?
みる・きく

「きょう、♪じゃじゃじゃじゃーん、きいた。」
「ああ、うんめい、ね。」
「木でできた、がっきとか、見たよ。」
「・・・・見たのね。」
小学校ではかなり前から、映像を見せながら聴かせる、ということをやっているのでしょうか?
それはそれでいいのだけど、聴かせるだけを多くしてほしいなぁ、と思うのです。
見ながら聴く。同時に味わうのは、楽しい。’You Tube’なんて、それの最たるもの。
けど、見るほうが、どうしたって優先する。
全く聴いてないとはいえないけど、私がレッスンでよく言われる
「聴いてない。」
ぐらいのことになっているのだろうと思う。
感覚って、拡大されるものではなく、一つに研ぎ澄まされる性質のもののようで、
訓練しても、視覚的な外界を完全に見ながら、完全に聴くことはない気がするのです。
アルトゥール・ルービンシュタインが、晩年、視力を失いつつあった時の言葉
「やっと、耳だけで弾けるようになったよ。」
その頃だと思われる映像があるのですが、
まるで、神さまがピアノの前にすわっているよう。
光るように豊かなクリーム色の白髪が、すでに神々しく、
始終、目を瞑り、「つむじ」すら、動かない。
空間の音に耳を浸しているような、あるいは「全身が耳」。
「神さま」は、真剣勝負をしている。
相手は、まだワカゾウの、(アンドレ)プレヴィン、その他大人の姿をした「子供」。
神さまは真剣だけど、相手がどうにも、ぽわーんとしている。
視覚はとても強い欲求をもった感覚だと思う。
でも、あろうことに写真は、視覚に拒否されているみたい。
見ていない、表面をかすめて過ぎていくだけ。
私がここに書くのはイジワルかもしれないけど、自分がそうなので。
それでも撮るのか?と、最近は、よく考えるのです。
河津桜

桜が植えられた長い坂の途中、ふと顔を上げると、一本だけ、ピンクが空にまぶしい。
「河津桜」の札から、思い出したことはKちゃんのこと。
Kちゃんは大学の同級生。
学籍番号が私の二つ前だったので、実験で班が一緒になることが多く、とても助かった。
電気屋の一人娘のKちゃんは、私が四年間、一回もやったことがない回路をくんでしまうことなんて、
なんでもないことのよう、私は見てればよかった、ってこともないけど、そういうことだった。
絵心もあるKちゃん、実験のレポートを書くときに、なくてはならない存在だった。
「画家の線」は、とても重要なものらしいけど、私にもとっても重要な時期があった。
先生は実験結果の数値なんか見ない。大事なのは、グラフにしたときのなめらかさ。
直線のグラフなんて、めったになく、なので雲形定規や自在定規をつかうのだけど、
いちばんいいのは、Kちゃんにフリーハンドで点を結んでもらうこと!
「なめらかさ」っていうのは、仮定した曲線におさまらない、飛び出した測定値が出た場合、
正直にかいてしまうと、先生に原因を述べよと、つっこまれるのはもちろん、
下手に描かれた曲線にも容赦なく、
Kちゃんに、これをやってもらうためだけに、学校に行く日もずいぶんあった気がする。
Kちゃんのノートは、絵であふれていた。
彼女から借りたノートを、コンビニでコピーしながら、
本当にやりたいのは、絵じゃないかと思うこともあった。
入学してからずっと、なーんで、こんなところに来た?と、頭を抱え続けた私には、それがよく見えてしまった。
やっぱり同級生の(数々の「資料」を潤沢にくれて、やっぱりとてもお世話になった)Aちゃんが結婚するときに会って以来、Kちゃんは、複雑そうな事情とともに、行方不明・・・。
この三人で、三月の頃、河津に行ったのに、
この桜を見た記憶がないのは、どうしてなんだろう?
私信:Aちゃん、鍋パーティはもう遅い?
今日もタイトルなしだよ

空の色が柔らかく色を取り戻し、光がきらっと、白くなってきました。
風が強い日が多いので、思うほど写真日和でもないのですが、外に出てしまいます。
シクラメン

下を向いて咲く花は、いいですね。
花茎をまっすぐ上を向いて咲くバラより、花の重みで下を向くようなものが好きです。
となると、オールドローズやツルバラになってしまいます。
この一、二年あまり植物を増やさないようにしていたのですが、
時間が重たくのしかかるように感じるとき、買ってしまいます。
これが咲く頃には・・・というようにやり過ごすために。
それで去年の春に買ったツルバラ、今年、咲かすかどうかちょっと考えています。
ツルバラは、「木」でもあるので、若いうちは、持っている強いパワーを花を咲かせるより、
「身体」を作るほうに使ったほうがいいのです。なんか、「人」とかわらない?
しかし、花も見たいぞ。
シクラメンのはなことばは、「内気、はにかみ」。
今日はタイトルなし

昨日は忙しかったので、今日、お雛さまをしまいました。
私の両親から贈ってもらった娘のお雛さまは、親王飾り、(お雛さまの)X段仕様のことを思えば
道具ははるかに少ないのですが、それでも、数々の小道具があって・・・・。
先月、
出してみたいのだけど、どうにもめんどくさい気がするのはなぜか?
ということを、数日考えて、出した結論が、
「なに、主役が重要。殿、姫だけ出せばよい。」
紅い毛氈と台座だけを出して、ふたりを並べてみました。
でも、やっぱりなにか足りないので一つだけ道具を出すことにしました、橘と桜。ベリーグッド!
上に書いたことははたいしたことじゃないですけど、
私は時々ばっさり、あっというようなことをやらかすので
(生活の上の)形や様式が大事な人から見たら、いやだろうな。
ここの更新も、タイトルが思いつかないばっかりに、
しないということも、これまでたくさんあったような気がする・・・
ということで、今日はタイトルなしだよ。(って、言い訳の前置きが長いよ。)
白梅

梅を撮るのは、むずかいしい。
あれも、これも、むずかしいと思っていた日でした。
この春は、そんなふうに思い続けそうな、イヤな予感。
ここが写真ブログじゃなくて、テキストなブログになっても、いいよね、ねっ?
足

つるんとあたらしいものが、与えるものは、ごくわずかなのだろうな、と思う。
この足はいつからここに?と思って調べたら、どこかから移されたものらしい。
その五円玉がくすぐったくて、しょうがない気がする仁王さまも、思わぬことがあるのね。
「鏡、かえてよ!」

ちょっとかわったことをしようと思って、昨日は美容室へ。
私のあとを少し遅れて来たそのひとは、どうも、そうらしい。
床も壁も白く、道具はどこかにかくされて、すっきり。
美容室かと、ちょっとうたがうほど。
女性誌がまったくないかわりに、
絵や画集を置いたそのお店の人たちは
無理に話そうとしないのがよくて、
私はそこにいる時間のほとんどを、だまってます。
それで、その人の口からこぼれる華やかな言葉が耳に入ってくるのです。
男の人にしては、ちょっとカン高い声。
「ちょっとぉ、鏡、かえてよ!」
最近、顔が太った太ったと、とても気になるらしいその人は、くすくす笑いながら。
私もちょっと笑って、あの人たちって、なんかおもしろいんだよねと、思い出しました。
20代のほとんど、男の人ばかりの場所にいたので、
そういう世界に、行く機会も。
ホンモノの女が行っても、相手にされないで、なので気楽にしてると
帰り際、かわった子ね、とよく言われました。
それは当時の私にとって、最上のほめ言葉でしたけど、
うーん、見抜かれていたかも。
娘が、ドラッグストアでIKKOさんを発見して、
「いっこーさんって、かわいいよね。」
と。
かわいい?そーなんだ・・・・。







