
ここは、白ウサギが大変な目にあった伝説の海岸、白兎海岸。
行く前は、なんだかふるくさーいイメージがあったのです。
例えば、松の老樹、鳥居なんかもあったりするとか。
実際は、するんときれいなビーチでした。
ながーい砂浜、水平線を遮るものがなく、波がながーく続き、有名なサーフポイントだそうです。
ええ、サファーもいましたよ、お正月でしたが!
あると想像していた松や鳥居は海岸の反対側にありました。

私がピアノに出会うことによって知り得た、キュリー夫人のお話をしましょう。
上の写真は、三朝温泉(みささおんせん)にある夫人の像です。
キュリー夫人には二人の娘さんがいたのですが、
お姉さんのほうは、お母さんと同じ物理学者に、
妹さんは一時、ピアニストを目指していました。
その妹さんの先生は、
当時、ヨーロッパで絶賛売出し中のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン。
キュリー夫人もルービンシュタインもポーランド出身ですから、
パリでの同郷のよしみかと。
ある時、ルービンシュタインが
(当時はすでに有名人だった)お母様を食事に招待する光栄に与りたいと申し出ると、
母は誰の誘いにも応じず、研究室に閉じこもっている、
時には、外に出て美味しい食事をしたり楽しんでほしいといえば、
人様の前に出られる姿ではないと・・・
(本文では、手荒れが酷くて、人様と食事ができないとかいう言い回しだったかと思うのですが、
wikiを読むと、素手で放射性物質を触っていたようです。)
母の毎日は悲惨なんですといって、「ピアノの先生」の前で泣き伏してしまった・・・。
後年、ルービンシュタイン先生に、その「光栄」はやってくるのですが、
暗く、しんみりしたひとときだったようです。
ルービンシュタインの自伝は、話がモリ過ぎであると、あんまり評判が良くないのですが、
上の話は、華やかでも悲惨でもなく、しんみりとした話。
伝わっているキュリー夫人のキャラクターともよく合致して、実話なんだろうなと思います。
夫人の生涯は、栄光以上の苦難や苦痛の道のりだったかもしれません。
三朝温泉は、世界でも有数の放射能泉。
大小様々なホテルや旅館(だけ)が、突然ドーンとある!という感じのところ。
外を歩いて楽しむっていうところではないですが、私は一週間ぐらい、いたかったです。
もう一度、絶対!入りたい温泉というのは、意外にもそうそうないものです。

小さな神社でおみくじをひきました。
なかなかサービス精神あふれる神社で、
お金を入れると、置いてあった獅子舞が音楽とともに踊りだして、びっくりしました。
娘と一緒に引くと、ふたりとも大吉。
当然、ある疑惑がわきますね?!
あとからやってきたオジサマにひいてもらうと、「末吉」。
オジサマは今年も仕事が忙しいのでしょう・・・「やったー!」と、疑惑は晴れたのでした。
皆様の一年が、良いものとなりますように


何を期待していたのか、わからなけど、
思っていたよりたくさん人がいて、軽く違和感。
それからこの場所に立った瞬間、何かがバキッと折れて、
「はやく帰りたい・・・。」
たぶん、来る時間を間違えたのかなと思います。
人の少ない「明け方」はどうだろう・・・?
けど、また行ってみようとは思いません。
パリとかロンドンより、サハラ砂漠とかタクラマカン砂漠に行ってみたいと、
若い頃から思っていたのですが、「砂丘」ごときで、これってどういうこと?
人はたくさんいるけど、人を拒否している感が、
海も見えるし砂浜でもあるけど、圧倒的な量が威圧感とか・・・
意外に私にはショックだったのかも・・・。
浅い穴の黒いものは、 ダリの絵に出てくる蟻のよう・・・人です。
その登ったり降りたりしているのは、殆どが子供だそうです
(オジサマ談 私はこの場所から先には行かなかったのでした。)

こんなことを書いたけど、
真冬の日本海側で、夕日を見るのはやっぱりまだ無理でした。
これは朝。
向こうの山は対岸ではなくて、この砂浜と陸続きの大山。
山の右のほうの白い所は雪@皆生温泉(かいけおんせん 鳥取は難読漢字が多め)

境港はするんとして静か、港も街中も美しいところでした。
二日後、「鳥取といえばあそこ」へ行ったのですが、
はっきり書きましょう、残念スポット。
境港の方をはげしくおすすめします。
鬼太郎の立体像はよくできていました。
制作した方の技量はもちろんですが、同じモンスターのポケモンの像を作ったら、こうなるだろうか?
いえいえ、絶対にならず、ブタピカチュウができるはず。
「ゲゲゲの鬼太郎」がものすごく良くできている、水木しげるさんの画力に気付かされました。
